■児童養護施設で学習サポーターとしてボランティアをすることに関して、メリットを感じない人も多いようだ。そもそもボランティアは、生活に余裕がある人が行うものである。
■しかし、ボランティアとして、自分が勉強を教えるという(アウトプット)を行い、子どもからの反応は塾や家庭教師として受け身の子に教えるのとは違い、様々なトラブルに遭遇する。
■僕の経験では、少し目を離したら、僕の手にシャープペンを刺してきたり、眼鏡を破壊してきた子がいた。ただ、それは、子どもなりの試し行動であり、「こんな僕(私)でも、教えてくれるの?」という暗黙のサイン。僕は、多分何万円ももらった塾講師よりも多くのことを学んだ。
■特にアスペルガーの子どもは、長文が読めない。短く切って、読んであげる必要がある。それなのに、僕のミスで、短く切って文章を読むのを怠ってしまい、「先生、冷たくなったね」と言われて自分の至らなさの「気付き」があった。
■僕は、勉強を教えるときに「ライター」で本を6冊出している身分は隠す。格好つけではなく、ライターもやっているというのは、邪魔だ。純粋に勉強を教える人間として、子どもには見てもらいたい。それに、そんな肩書きで他の人より下駄を履くなんて僕の信条から掛け離れてしまう。
■しかし、結果的に僕の身分が、「ロブ@大月」とばれてしまうことがある。だからそこまでに、「教える人」と「教わる側」の関係を確立する。そうすれば、別にライターで、虐待や児童養護施設、心理に詳しいなどは付加的なものとなる。
■多分、児童養護施設で教えた経験がなければ、小学生~高校生まで教えることはできなかった。そして、今は大学生に教えることにも挑戦することはできなかった。
■とにかく、失敗からの「気付き」が多い。取材でも多いが、何気ない一言で嫌われたり、簡単に伝えたつもりが、全然伝わらなかったり、自分の前提を崩される体験は、自分の経験値を何倍にもしてくれる。
■特に「伝える」能力に関しては、専門学校生・大学生には就職活動時に役立つ。きれい事ではなく、お金で買えない経験である。
■塾講師・現役教師・家庭教師経験などがあっても、プロ経験でもそんなのは関係なく新しい自分の能力がプラスされる。
■お金で買えない経験。それこそが、「新しい公共」に目を向けることになり、経済を回すだけでなく、「社会を回す」経験になる。
■「児童養護施設」という枕詞は関係ない。「精神科の」、「人格障害の」などの枕詞は僕が一番嫌う言葉である。本人がそこに安心を覚えて、安住してしまうことが、病気や無力感の温床になるからだ。
■虐待を受けたとか、親がいないとかそういう前提を取っ払って、接することで得られるもの。それが、学習ボランティアにはあると思う。
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