日本において、児童虐待は、民法 においても、親権 者 の「必要な範囲内」での体罰
は認められているため、現実に虐待と体罰の区別を明確にすることは難しいと言われているそうである。
また、尊属殺人の名残で、日本は、子供が親など血縁者を殺すと、殺人罪なるが、親が子どもを殺すと、支配下にある人間を殺すのは、傷害致死が妥当とされ、懲役三年以上。ちなみに、殺人罪だと、死刑、無期懲役、最低でも懲役五年以上となる。
児童虐待致死の案件裁判の場合、傷害致死にいくつかの罪を足して、併合罪で検察が懲役を求めても平均で,七〜八年。早ければ、三年で釈放されてしまう。
確かに、故意か過失かという点で、争点になりますが、「自分の子供」だと、傷害致死になる確率が高くなるのは、不平等であるのは、明らかである。
これは子の行動や法律行為を完全に制限できる親権
や懲戒権 を逆手に取ったもの、あるいは乱用したもので、「お仕置き」と称し て激しい折檻
で死亡させたとしても、折檻時に殺意があったかどうかを判断するのは不可能であり、結果として
「行き過ぎた懲戒権の行使」として、殺意があったとは見なされないためでもある。
自分の子供を殺した場合、殺人罪を考慮に入れることが、児童虐待致死傷罪制定の十分な意味になります。自分の子どもなら殺しても殺人罪にならないのは、子どもの人権無視しています。これは、国連の子どもの権利条約にも違反している。
ただ、子どもの権利条約に関して、日本は、条約への批准に際し、「自由を奪われた児童の取り扱い」への留保と「父母からの分離の手続き」及び「(家族の再統合に対する配慮」に関する解釈宣言を付しているが、児童の権利に関する委員会はこれらの撤回を勧告しているのが問題。これは、日本独自の「家制度」の名残と考えられる。
しかし、やはり儒教の児童虐待は、仏教や儒教だと大人の下に位置づけられる文化的背景もあるだろう。ただ、基本的に法学の基礎である「事情変更の法則」は民法の考えだが、、社会的文脈によって法律まで書き換えることが可能なので、その社会的文脈の変更部分を説明すれば児童虐待致死傷罪制定の意味はあるはずだ。
ちなみにアメリカのカルフォルニアが一番明確な虐待の定義を定めている。
以下はカリフォルニア州で規定された児童虐待の定義(一部)。
未成年者の保護者が以下のいずれかに該当する行為をすれば、深刻な場合には刑法で裁かれ、懲役刑を課されることになる。
*
肉体的虐待
偶発的な事故以外で、保護者が未成年者に対して深刻な肉体的傷害を与える、あるいは肉体的傷害を被る可能性の極めて高い状態に置くこと。
*
保護不十分
保護者による未成年者の監視、保護が不十分で、結果として未成年者が深刻な肉体的傷害を受けたり健康を害すること。または、肉体的傷害を被る、
あるいは健康を害する可能性の極めて高い状態に置いてしまうこと。故意であるか不注意によるかに関わらず、保護者が未成年者に必要な食料、衣類、住居、医療を与えないこと。
*
精神的虐待
保護者の何らかの行動により、深刻に悩み、落ち込み、自暴自棄になるなど、未成年者を精神的に極めて不安定な状態にすること。
*
性的虐待
保護者が未成年者を性的に虐待する、あるいは性的に虐待される可能性が極めて高い状態におくこと。あるいは、未成年者が性的に虐待される可能性が高い状態にあることを知りながら、保護しないこと。
*
5歳以下の子供に対する肉体的虐待
5歳以下の子供が、保護者により極めて深刻な肉体的虐待を受けること。あるいは、保護者の知り合いが子供に対して肉体的虐待をしていることを知りながら、保護しないこと。
*
残虐行為
保護者が未成年者の目に触れるところで、何らかの残虐な行為を行うこと。あるいは、保護者の家族が未成年者の前で残虐な行為を行っていることを知りながら、保護しないこと。
ちなみに叩いたら、6ヶ月程度の理由を問わず懲役刑。
デパートなどで迷子にさせても、ネグレクトとされ、懲役刑を受けることがある。
医療・行政機関等が通報を怠っても1000ドルの罰金、もしくは6ヶ月の懲役。
若干、行き過ぎの気もするが、日本もこのくらいの決まりは必要な時期に来ていると思う。
ただ、更正プログラムも不可欠。なぜなら、シャバに出たら、また子供ができる可能性があるから。それゆえに、児童虐待致死傷罪を作ると同時に、刑務所での男女を問わない親子のロールプレイなど、性犯罪者更正プログラムと同様の内容が必要になります。これは、アメリカで、DV加害者更正プログラムと同時に行われています。
今回は、法的論理で考えたメモですので、細かい部分での指摘があることは十分覚悟しています。