子供のノートでもサインは、出ています。ウチの子供のノートを見て、字が荒れていたり、字の大きさが不揃いになったり、否定的な言葉が落書きされていたり、些細な変化に気付くのは大切です。
確かに、この日本のご時世、親が子供のノートを毎日見たり、会話の変化などを見つける余裕がないのもわかります。教師も余裕がないのもわかります。
この事件から我々が導き出さなければならないのは、学校だけで、いじめを発見し、解決できる力があるとは、言いづらいということです。
傷口をふさぐためにスクールカウンセラーを配置するなど、包括的に、継続的に子供のSOSを見いだせるようにしなければなりません。
地域の復活ではなく、地域と同じ代替コミュニティの形成。それこそが、急務だと思います。社会で子供を育てるという考えを国民が持たなければ、同じような事件、虐待事件は消えません。
ネットや新聞で一時的な騒ぎが起こって、記憶の忘却の彼方へ消えていく。子供の問題など、ジャーナリズム、関係者、専門家だけが継続して考えるだけでは、解決できない問題がたくさんあります。
それを今年からどんどん、Drastic Action(思い切った行動)として動いていこうと思います。
訴えながら、動く。それが僕の活動の原点だと、最近再発見しました。
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