ポスト鬱ロックの雄「NON'SHEEP」の(vo,g)佐藤雄駿くんと数時間に渡り話しました。元々僕が渋井哲也さんたちと昨年再開した自傷勉強会「ハナシバ」に来てくれて、少しだけ話しました。
それ以後、音源などを送ってもらいながら、なかなか話す機会が持てず、今日になりました。
佐藤くんの印象は、抑鬱的な感じをHPから受けていましたが、ハナシバのイメージは好青年だったので、HPに掲載されている写真などとのギャップがライターとしての魂、そして僕の無類の音楽好きの魂が会ってみたいという気持ちを増幅させました。
最初から、生きづらさなどではなく、ギターの音の話や家が近いこともあり、近所の有名ミュージシャンが使うスタジオの話で盛り上がりました。僕は、元々ミュージシャン志望だったので精神や哲学の話以上に音楽の話だとギターのフェンダーやギブソンの音の違いなどにこだわりがあります。
その辺から話していって、彼の歌詞に込められるメッセージの謎を周辺から探っていきました。僕は洋楽やHR/HM好きということもあり、歌詞にはこだわらないのですが、実はルーツに長渕剛などもあるので、気になる歌詞にはそこにあるメッセージをあれこれと中高生の時代から考えることも多々ありました。
また、僕たち物書きの限界を超えられる音を出せるのがミュージシャンの強みだと思っています。特に精神領域の話は言語化すると感覚的におかしいというものが多々存在します。ノンフィクションは、そこを言語化するのが戦いなのですが、それでも僕の力不足もあり、取材対象者の心の断片をうまく記述できないことが多々あります。
佐藤くんの歌詞は、小説家の中村文則さんがコメントしているとおり、彼の言語センスと浮かび上がる世界観はとても魅力的なものです。
しかし、今日話していて、彼には太宰治のようにもっと懊悩し、悶絶し、ふと浮かび出る言葉を歌詞にして、音楽の部分が良い意味で洗練されてきているので、メロディック・ディプレッシブ・ロックの領域を切り開いていって欲しいと思います。
次のアルバムが発売される前に言ってしまうのも、おかしいのですが、まだまだ深い世界観を歌詞と音楽で表現できる人間だと思います。むせび泣くような言葉と音の洪水の厳選が彼の中にはあると思います。
それを自分で見てみたいと思うので、個人的な付き合いと取材し、どこかの媒体で書いてみたいと思います。
4月23日下北沢GARAGEでのライブには僕も行きます。血の臭いのする音から見える希望がなんとなくある…。そんな不思議な音を出すバンドです。
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