この本では僕の最近のテーマである「承認と疎外」の疎外を考えされた。
いわゆる自傷などをするメンタルヘルスが多少変調をきたしているレベルの子どもたちは承認を求め、社会をさまよう。
一方で、児童養護施設に措置が決まった子どもたちは知らないうちに「不利が不利を呼ぶ」ループに入る。
メディアでは、児童養護施設出身でもたくましく生きています!というステロタイプな成り上がり超小数タイプの人間が取り上げられるが、ほぼ児童養護施設で生きることになった子どもたちは、学校に通いながらも疎外感を感じながら生きていく。
自殺の要因と同じく入所の理由は重層化しマスコミに発表されるデータは「最も適切」、適切「とみなされた一断面に過ぎない」ということだと本書にも書いてある。
ただ、親も親で大変で児童養護施設で暮らす親の学歴不明42%。それを除くと、正確さに欠けるが、父親の69%、母親64%が中卒以下の学歴だそうである。
さらに生活保護受給家庭以外でも無職の割合が父親21%、母親の49%を締めている。しかも仕事をしていても安定就労の割合は父親10%母親は該当者なしだったそうだ。
貧困というより社会的排除・疎外の連鎖の兆候が見て取れる。
僕の息子が乳児院入所当時も祖父母が面会にきていて、息子と仲が良かったので理由を聞くと「母親は私たちの子どもですが、この孫を産んで死にました。孫の父親は行方不明なんです」と苦笑いしながら答えられて、返す言葉がなかったのを覚えている。
ただ、施設状況格差も激しく施設出身者のインタビューで、
「(中略)入っていること自体がマイナスなんですけど、普通にはないところで、こう、普通一般家庭よりものすごく守られてきた社会だと思うんですよね。で、守られてる「子どもたちがですよ、外に出てきたとき(差別によって)一人になったとき絶対押しつぶされると思うんですよね。」
これは恵まれた施設だったからではなく、社会で隔離された場所で育ったことを端的に述べている。だからこそ、社会に出てもさまようしかなくなり5人に1人がホームレスなどの道に進むトラッキング現象が起きる。
この解決策は、やはり儒教的な「家族依存社会」から「社会養護社会」への転換が必要である。
もちろん予防も大切である。しかし、どうしても不幸にも親が子どもを育てられないケースは出てくる。そんなとき、児童養護施設・里親以外の養育先選定ができるようになることが求められている。
そのためには、まず本書を読んでステロタイプな「疎外」された子どもたちではない現状を知ることから、社会養護の一歩が始まる気がするのは僕だけではないと思う一冊だった。
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