タイトルだけで判断すると、「とんでも本」であるが、内容はラカン派精神分析を学んだ著者らしい精神分析的手法で新型うつ病や、一歩的な抗うつ批判に対する反論、世代分析など臨床知とあわせた考察は一読の価値である。
新型うつ病に関しては色々言われているが「他責型」になるのは、自己愛が他人より強いゆえだと言う。
ただし「自己愛性人格障害」という診断はつかずに「気分障害」と診断がついて心療内科を紹介されるケースが多い。僕個人として、ここに「適応障害」を加えてもいいと思う。
しかし、精神科の人格障害診断名というのは、行動の偏りであり、病的レベルとしてあまり深くないケースが増えてきた気がする。また、「~人格障害」と患者に告げるのが酷なために「うつ病」「新型うつ病」などに名前を変えている現状もあるだろう。
またストレス耐性のなさもあり「気分反応」、「拒絶反応」で、「少しのストレスで、イライラして、不安になり、動悸やしびれなど」も出現するのも事実である。もちろん、時代的に「異化作用」をうまく使えない教育現場の苦悩もあるだろう。
ただ、資本主義社会の中では、「あきらめるな」というメッセージがずっと発信される。または、「努力すれば、報われる」という永遠の経済成長を前提としたメッセージは無意味である。
あきらめないがゆえに、「あきらめざるをえない現実」と自己愛イメージのギャップを受け入れられない。
マキュヴェリが「現実をあしざまに罵り、過去をたたえたり、未来にあこがれたりするのは、危ない欲求不満の人々である」と評したタイプともいえる。
著者の臨床現場では、虐待してしまうシングルマザーは、離婚した夫たちが意外にも育児参加に協力的であると言う。これは、僕の実感としてもそうだ。それは、欲望が欲望し、夫に際限ない欲求を投げても受け入れてくれることに限界が来たときに妻の気持ちは切れる。そういう意味で、自己愛の強い女性と結婚した草食系男子が意外にこの共依存関係になる傾向が強い。
また「親の期待とは親の自己愛の再生に他ならない」とも著者は言う。少子化のご時勢、親は子どもに「昭和的」、「儒教的」価値観を押し付けがちである。
最近は、親の世代も1960年代から1970年代生まれくらいが多くなってきたが、子の世代はバブル世代と就職氷河期の微妙な時期を過ごし、親自身が精神的に不安定なケースも多い。
それゆえに親以外が「安定的な異化作用」を与えられるコミュニティを作り出すことによって、子どもの心のコップは大きくなる気がする。
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