児童養施設の子どもたちと直に接した著者のルポが収められている。若干、ルポにしては描写が薄いと感じられる箇所もあるが、プライバシーに配慮したら自分が書いてもこうなると思う。
連続ではないが80日間児童養護施設の子どもたちと寝食をともにした子どもたちの描写は細やかである。児童養護施設の大変さは、現場に行かないとわからない。
息子が乳児院にいたころ、職員の方がお風呂に入れていたのを見たが完全な流れ作業。しかし、だからこそ妻は自分の病気を治そうと必死になった。厳しい言い方だが、児童養護施設や乳児院で子どもと面会などをして、自分の子どもの扱いに疑問を持たないのなら、その子どもは親元に帰るより施設にいたほうが幸せである。
確かに1979年以来職員の配置基準は変わっていなかった。しかし、先日、改定されることが発表された。子どもの年齢によって若干違ってくるが、現状は、6人に1人。それが4人に1人に改定される。それでも現場は厳しいとの声を上げている。
施設は24時間体制で子どもをみるので単純に8時間労働計算で子ども18人を1人で見ることになる。親の方ならわかると思うが、さまざまな事情を抱えた子どもを1人で18人をみる厳しさは想像を絶する。
改正案では小規模化を推進している。現在は大舎制といって平均で定員45人。大きなところでは150人以上をみている児童養護施設がある。
ただ、小規模化が進まないのには理由がある現在の職員は位置では職員の勤務体勢が、さらに厳しくなり、職員の力量もかなり問われる課題が出てくる。つまり、小規模になればなるほどミスマッチが起きた施設は職員も子どもも逃げ場がなくなってしまう。その結果、大舎に戻した施設もある。
著者と親交が今でもある彩美は社会的な疎外のために施設の職員ともなじめなかった典型である。ただ、その職員のコメントで、職員がある青年と酒飲み、その数日後に体重が30キロに減っり死んでいたことを話し、
「ホームでいくら自分ががんばっても、この子は孤独になっていると感じることがある」
と漏らしたという。こういう事態の連続が職員の燃えつきを生む。しかし、彩美は職員の話を聞いて何かを感じ少しずつ変わっていく。しかし、彼女はその後DVなどを受けるなど紆余曲折のある人生を送る。ただ、著者が距離感を持って寄り添っていることもあり、辛いことがあっても彼女は死なない。そして、中学の英語などを自ら学ぶまで自立し、働くようになってもがんばり、表彰されるまでになる。
確かに彼女は運がよかったかもしれないが、複数の人がかかわれば、親がいなくても子どもは育っていくのである。ここに僕は再度社会的養護の可能性を感じた。
一方、虐待するお母さんたちのルポもある。しかし、虐待の詳しい行為は書かかれていない箇所に好感を持てた。恵美の言葉で、「子どもためにいいお母さんになる必要はない。自分のために生き、それが人のためになればラッキーだと思えばいい。子どもをコントロールしたいと思うのは、親の常。だが、不安から逃れるためにコントロールしたがるのだ。子ども以外の世界を持つことが必要」という言葉が虐待する親の認知転換に役立つと思った。
しかし、虐待を親から受けた子どもの人生は重い。それでも子どもたちの人生を変わって生きることは誰にもできない。彼ら(彼女)たちが自分の足で歩いていくほか道はない。児童養護施設も長くて20歳まで。彼らがその気になるように、独り立ちを社会全体がバックアップしていく必要がある。
児童養護施設の子どもたちは、三歩進んで二歩下がるの繰り返しで進んでいく。それをのろまな亀と揶揄するのではなく、マイペースで必死に過去を振り返らずに前を向いて呪縛から抜け出そうとしている姿を見守る世の中であってほしい。それと同じく、震災遺児見守る目線も同じであってほしい。
たとえ、明るいニュースがなくても自分の人生に真摯に向き合うこと。そんな当たり前のことを認識させてくれる一冊だった。
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